前回の続きです。
こんにちは、USHAです。
前回は、「自分」という定義をリセットするために、「自分」というものを認識する材料として①生育環境(他者評価)がありますよ、というお話を書きました。
しかし、他所の誰にも言われたことがないのに、「自分って…な人だし」と認識していることがあります。
そう、本日のお題は、②「思い込み、囚われ」による自己認識です。
例えば…
どうせ、私はかわいくないし、だから彼氏ができないんだ(←誰が決めた?そもそもかわいさの基準ってユニバーサル⁈)
俺なんか、頭も悪いから、取り柄なんてねーよ(←取り柄=頭の良さ?)
というネガティブなものから、
私って、何でも許してくれる旦那様がいてチョー幸せ!(←ところで仮面夫婦って可能性は?)
僕って、みんなに優しくできるジェントルマンなんだよね(←いや、偽善と自己満は他人を苦しめますけど大丈夫ですか!)
などなど。
注)カッコ内は私の個人的なツッコミですのでお気になさらず…。
ちなみに、上記は大変分かりやすい例なのですが、実は世の中に暗躍している思い込みや囚われの類としましては…
「これって、あの人が悪いんだよね~。だから私が苦しんでるんだよね。」
「私は正しいんだけどさ、周りが理解してくれなくって」
というものだったりします。
要は、「正」⇔「悪」の構造で現実の事象を捉えているときです。
え?それの何があかんの(・・?
と思ったそこのアナタ。
…大丈夫です。きっと、それが普通です(笑)。
今までの世の中、二極対立構造で事象を捉えるものの見方をしてきました。
簡単に言えば、「比較」です。白か黒か、のコントラストです。
両極端なものを比較すると、物事がとらえやすくなる、というメリットがあります。
しかし、実は「真実」というモノは、物事の真ん中、すなわち「中庸」にあるのだ、と。
教えてくれたのは、私に霊感が降りてきた21年前にお世話になった最初の師匠ですが。
実は理解できるようになってきたのは最近の話です(そしてまだまだ修行中)。
抽象的なので、具体的に言いましょう。
何かの結果(感情を含む)を、
「私のせい」
「○○(他人)のせい」
のいずれかにしているうちは、真実が分からないということです。
ワタシも悪くない、アナタも悪くない、という境地の先に、自分が知りたい本当の答えがあるのです。
だって…
「何」が「正しく」て、「何」が「悪い」って、そもそも誰が決めたのですか?
って話になりませんか?
世の中の常識や、「かくあるべき」の大半は、その場の支配者階級の都合だったりしませんか?
分かりやすい例としては、一夫一婦制と一夫多妻制。
多夫一婦制だって、それが認められる土壌があれば「正」でしょう。
結局、何かを判断する基準って、「主観」なのです。
主観と客観の違いは、この「判断」の有無なのではないか、と私は思っています。
だからこそ、主観に「絶対」は無いのだ、と。
なぜなら、判断=主観なら、それは「趣味や嗜好」の範疇だからです。
そう考えたら、他者からのダメ出しを食らっても、それはその人からの「趣味の押し付け」ですよね(笑)。
傷ついている方が馬鹿らしい、って話になります。
それはそれとしまして。
「自分とは何ぞや」を真摯に追求なさっている方は、少なからず己のネガティブな部分に遭遇すると思います。そして、それはきっと受け入れたくない、見たくない姿なのかと思います。
ただ、その感情を抱いた瞬間が、実は運命の分かれ道なのではないでしょうか。
この感情を誰のせいにもしない、自分は悪くない、他人も悪くない、と選択した方には、今までとは異なった世界の見方が開け、宇宙が「真の自分の姿」を見せてくださると思います。
しかし、自分か他者、あるいは環境のせいにしてしまうと、それは「主観」の囚われから脱却できていない証になりますので、「もうしばらく俗世で修行しましょうかね~」的な流れになってしまい、現実でまあまあつらい目にあったりするでしょう。
あんまり具体的でなかったですかね(;^ ^)
具体的に、また自分を例に出しましょうか(笑)。
むかーしむかし、まだ霊感も降りて無かったOL時代。
とある弁護士事務所の秘書として入所したのですが。
期せずしてボス弁(会社でいう社長)に、「こいつは出来る!」と期待されたらしく(後日談)、私だけ他の同期とは違う部署、仕事を与えられました。
同期のやっている仕事が自分のやりたかった仕事。
自分に割り当てられた仕事は全くやりたくなかった仕事。
何故自分だけこんな目に?と毎日悲しくて、ストレスで身体を壊して、ついには出勤できない日も(事務所は有給発生前なのに有給扱いにしてくれても被害者意識は収まらない状況)。
おまけに、直属の先輩と馬が合わず(→先輩は「新人は何も分かって無いのだから、先輩には何を言われてもYesだけ言って従っておくのは常識」という概念。一方、私は「分からないこと、知らないことは率直に聞くのが常識」という概念」…実際に「Yesだけ言って!」と叱られました)。
それ故?かどうかは分かりませんが、事実無根のこと(「あの子、実は司法試験受けるらしいですよ」)をその先輩はボス弁に伝える→うちの事務所で秘書として働く気は無いのか、という失望を招く、という事態に。
…ちなみに、上記のことは、私を高評価してくれていたボス弁が急に冷たくなって、部署替えもされてボーナス査定で最低評価を受けてから初めて周囲から知らされたことです。
まあ、こう書くと、私が一見被害者のように見えますが、単に私が世の常識と世渡りの術を知らなかっただけでして(笑)。
そんな不器用な私をハラハラドキドキしながら見守ってくれていた同期や一部の先輩、上司の弁護士の先生方とは、おかげさまで非常に良い関係を築くことが出来ました。
また、そんな状況故、「本当に自分がやりたいことは何だろう」と毎日妥協なく考えることが出来たおかげで、今日の自分が在ります。
…要は何が言いたいか、ということですが。
「あの人が悪い!」
「この環境があかんねん(また関西弁ですみません)!」
という意識レベルから外れないと、より幸せな「次」は来ないということです。
そして、こんなこと書いていたら、ちょっと次は番外編で「被害者意識」について書いてみたくなりました。
脱線多めですが、ちゃんと本題は見失わないようには気を付けてますので(^_^;)
今回も、お付き合いいただきありがとうございました!