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番外編~USHAの成り立ち(個人的な備忘録)その2

こんにちは、USHAです。

何故か番外編から書き始めております(笑)。

さて。

折角就職したばかりの弁護士事務所を早々に辞める決意をした私は、

「人の本音に触れられる仕事」とは何があるのか、を真剣に探し始めました。

見つけたのは、「家庭裁判所調査官補」。

漫画、『家栽の人』が流行った時期だったような気がしますが、まさにその漫画に出てくる調査官です(主人公ではないですよ)。

おそらく、ガッツリ影響を受けていたのでしょう(^_^;)

人の本音に触れたい、という気持ちもさることながら、何より、「今まで学んできたことや労力を無駄にしたくない!」という気持ちが強かったのです。←これも執着。ああ、若かった…。

そして、そんな経緯も「公務員万歳、資格万歳」な母親には非常に快く受け入れられました。

実家に戻って資格試験受けたら~という優しいお言葉は丁重に(素っ気なく)お断りし、友人の勧めで介助の仕事で生計を立てて勉強することにしました。

今でこそ介護福祉の制度や資格も充実してますが、当時は資格などはほとんど無く、私の場合も無資格・未経験のまま一人暮らしの脳性麻痺の方の介助の仕事をすることになりました。

そんなある日。

介助先のお宅を訪問すると、見知らぬ一人の坊主頭のオヤジが!

え?誰(?_?)

と恐る恐る覗いてみると…

「おう、ちょっとそこに横になっとけ。一緒に診てやるから。」

…(;・∀・)???

訳が分からぬまま、逆らう理由も見当たらないのでとりあえず床に横になりました。

様子をうかがっていたところ、どうやら雇用主である脳性麻痺の方の気功治療をしに通って来て下さっている気功師の先生であることが判明。

そして、治療が終わってからの自己紹介。

すると、その先生、開口一番

「似合わねえなあ、やめちまえ、公務員試験なんか。

 お前、治療師向いてるよ。やめて治療師になれよ。」

…はあ???(;゚Д゚)

何言ってんだ、この人は…。

という感想で済ませたかったのですが。

実は。

「ヤバい、こっち(治療師方面)に行ったらホントに引き返せなくなる!!!」

という本能の叫び(今思えば大正解)も同時に感じたのです。

とりあえず笑顔でやんわりお断りしたのですが、この先生は毎週来られて、毎週私をスカウトし続けたのでした(笑)。

断り続けて約半年。

ある日、その先生が、

「どーしても、お前に会わせたい女性がいる。」

と急に言い出したのです。

1999年の12月だったと思います。

やっぱり断る理由がない私は、とりあえず言われるがまま、電車に乗って約1時間、K市の公民館まで彼女に会いに行きました。

そこでヨガ教室をやっている、というその女性。

最初会ったときの感想は、

「なんだこの人?全然主婦っぽくもないし。」

位でした。

…しかし!

彼女の反応は、私の想像の遥かに斜め上を行くものでした。

挨拶も何もなく。

「ゲッ!!!こいつかよ!!!」

のみ(笑)。

しかも、めっちゃかわいらしい声で。

そして、ホントに、ただそれだけ。それ以後、目も合わせてくれず。

…目の前で起こった出来事を全く処理できないまま(今思い返せば、何故私は腹が立たなかったのだろうか、と疑問に思いますが)、その日はそのまま帰宅しました。

数日後。

新年を迎え、私は帰省していました。

元旦、よく晴れてあたたかい日差しの中、1人実家の庭に立ちながら、

「何がが違う…。」

と感じていました。

何が?かは、まるで分かりませんでした。

しかし、それを感じて数時間後、明らかに異変を感じたのです。

それは…

お酒を呑んでも、全く酔わない…(⊙_⊙;)

そして、いくらでも果てしなく、めちゃくちゃ呑みたい…(⊙_⊙)?

しかも、普段呑まないような、めっちゃ甘い酒を…。

正月三が日だったので、まあ吞んでいても目立たなくて幸いでした(汗)。

そして、その状況は東京に戻ってからも続き、さらに加速したのです。

しかも!

1日10回以上吐き始めました。

二日酔いでもなく、食べようが食べまいが(むしろ食欲は減退)、ただただ吐きました。

そして、杏露酒原液を一瓶、一晩でさらっと空に出来る日々。

そんな毎日が恐怖になりつつあった1月半ば。

「あの女性のせいだ!!!」

と、ハッと気付いたのです。

あの、初対面で悪態つかれた不思議な女性。

きっと、あの人に会ったから、私はこうなっているんだ。

なんの根拠もなく、でも100%確信して、私はまた彼女に会いに行ったのでした。

~続く。