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番外編~USHAの成り立ち(個人的な備忘録)その8 ~実は「試験」を受けていた~

こんにちは、USHAです。

ちょっとバタバタしてご無沙汰してしまいました。

サンタフェの続きです。

サンタフェの独特な雰囲気にどっぷりと浸った後、アルバカーキなどにも滞在、プエブロインディアンにすっかり魅了されておりました。

ホピ族とかナバホ族…きっと前世でこの辺りに居たんだろうなあ、としみじみ感じながら。

余談ですが、その後アメリカで受けた前世ヒーリングで、自分がインディアンだった時の記憶が出てきました。決闘で負けて、心臓くりぬかれて目の前に見せつけられながら死んでいく、という結構壮絶なビジョン。体の痛みを伴うというオマケつき(笑)。

自分でも以前は前世ヒーリングとかやってましたけど(受けたら出来るようになってしまった因果な体質)。

いちいちビジョンとして見えなくてもいーじゃん、って思ってしまったりする自分もいたりします。

だって、みんな前世とか知らなくても、日常生活の中で知らず知らずのうちにカルマと向き合って、日々頑張っている訳ですから。

もちろん、何度も繰り返す悪循環やら納得のいかない苦しみや悩みの元を整理するために、前世を知ることは大事な場合もありますけど。

でもでも、くりぬかれた自分の心臓は、もう見たくないなあ…(T_T)

話を戻します(いつも脱線ばかりですみません…)

あちこち気になる地名をさまよいながら、時にキリスト教の歴史にばったり遭遇しながら、地味に旅を続けました。

空港の係官に道を聞いたら予約した宿を変更されたり(かなり不便で危険な宿だったらしい)。

財布をおとしたら拾ってもらったり(中身無事)。

迷子になったら、パトカーに拾われたり。

英語が分からないのに、肝心なところでは常に日本語出来る人が傍に来てくれたり。

ハードな旅過ぎて動けないくらい疲弊したら、「誰か」のエネルギーが来てヒーリングしてくれたり。

たくさんの優しさと愛に支えられながらの旅でした。

今思えば、アンマを始め、宇宙が本当に守ってくださっていたのでしょう。

しかし、ずっと私はそのご加護を楽しむ余裕がない位、己に苦しみ続けていたのです。

OLを辞めて1年足らずでいきなり降りてきた霊感と、激しくフラッシュバックしたあの前世の記憶と、で。

私は、一体何者なんだろう?

何のために生まれてきたのだろう?

何故、周囲の同級生のように楽しく日常生活が送れなくなってしまったのだろう?

もがき続けている中で、アンマに出会い、スピリチュアルな学びが始まった訳ですが。

その頃、「サードアイ」なるモノを知りました。

自分の生きるべき道を見定められる、眉間にある第3の目。

その当時の私は、猛烈にそれを欲していたのです。

どうやったらその目が開かれるのだろう?

そんな悩みを抱えながら、またアンマに出会えるワシントンD.Cまでやってきたのです。

ワシントンD.Cでのアンマのダルシャンは、夜でした。

私は、「気になる地名を訪れる」という自分のミッションのために日中は市内を巡っておりました。

当時、そのミッションに対して実はすごく疲れを覚えていたのです。

こんなことして、何になるんだろう、と。

お金も時間もかけて、体力もいっぱい使って。

でも、何故そこを訪れたのか、よくわからないまま、また次の地へ。

何やってるんだろうな、私。

その思いがピークに達していた時期でした。

しかし、目的地なのかさえ怪しい公園の池をぼんやり眺めながら、何故かふと、思ったのです。

気になるところには、素直に行かねばならないんだ。

きっと、そのこと自体が大事なんだ。

行った場所の意味とか、行った場所があっているか間違っているか、とかそういう問題ではなくて。

自分の感じた通りに動けるかどうか、私は今試されているのではないか?、と。

そんなことを思いながらアンマのダルシャン会場であるホテルに戻りました。

そして、夜。

私の番になり、ダルシャン(ハグ)を受けようとしたその時でした。

アンマがにっこり微笑んで、私の眉間にピトッと何かを付けてくださったのです。

何が起きたか分からずに、きょとんとしていると、周囲の方に言われました。

「サードアイが開いた、ってことだよ。サンダルウッドを付けてくれたんだよ」

…まさか、こんな形で?願っていたものが???

つまり、昼間感じたことが、サードアイを持つための試験だったのです。

アタマで考えるのではなく、常識にとらわれることなく、己の感性と直感で判断して動くこと。

目先の損得勘定をせず、必要なものは必要な時に必ず天から与えられると信じて動くこと。

そうか、それが「サードアイ」だったのか…。

ようやく念願のサードアイが開かれたことに、しばしその場で号泣したのでした。

まあ、開かれたおかげで、その後「どんなに苦しい方向性でも泣きながら進む」羽目になってしまうんですけどね(;^ω^)

そして、そこでアンマのスタッフの方と顔見知りになったのですが。

「ニューヨークでは、ユースホステルに泊まるといいよ。ホテルが凄く高いからね。」

といきなり言われ。

これはお告げだ、と確信しました(笑)。

そして、アンマへの捧げもののお下がりのマンゴーまで頂き(!)。

本当に、アンマが祝福して導いてくださっているのだなあと、また部屋で感動して泣いておりました…。

いやあ、あの頃は私もピュアだったなあ…( *´艸`)

お読みいただきありがとうございました。

そろそろ新「本編」にも着手せねば…。番外編ばかりですみません。

つづく。