2021-06-08 00:45:04
こんにちは、USHAです。
ようやく自宅でネットが使えるようになりました。
きっとこれで、ブログ更新も増えるハズ…(ホントか?!)
本日の小ネタ👇
自転車なのにホームセンターでハンガーチェスト(15kg)を買っちゃったヤツ。
いや~、夕日がキレイ(*´▽`*)
ちなみに、当然ですが、この状態で自転車には乗れません(笑)。
道行くノラ猫にガン見されながら(道開けてくれる親切な猫)、歩いて優雅に帰宅しました。
さて、話を戻します。
大天使様や聖者様に守られ抜いて、無事アメリカから帰国したのですが。
成田空港から、杉並区のアパートにようやっと辿り着き、
あー、やれやれ…。
と思ったら、机の上に一枚のメモが。
ん? こんなの置いたっけ?
と、手に取ってみたら、なんと!!!
…静岡に居るはずの母親からのメッセージでした…(◎_◎;)
来たんかいっっ!!!
てゆーか、バレたんかい!!!
みたいな。
そう、つまり、アメリカに1人で行くって内緒にしていたのです。
だって、彼女はThe☆毒親ですから。
彼女(母親)が私にしてきたことは、ホンットに枚挙に暇がございません。
ほんの一例を。
赤ん坊の頃の頃…泣き声が大きいという理由で布団顔にかぶせられるor押し入れ放り込まれてた(らしい)。
幼稚園の頃…皮膚科の治療で痛くて泣いたら幼稚園を休まさせられ、家で監禁(絵日記とか自宅学習の罰付き)。
体罰は日常。
ピアノ教師である彼女からピアノを習い始めるも、ミスタッチごとに手を叩かれる&練習回数倍になる→ストレスをピアノにぶちまけた結果、何を弾いても「行進曲」に→気付いた母親、私を他の先生の元へ送る(笑)
小学生低学年…近所の子たちにいじめられて泣いて帰ってきたら、「謝ってもらうまで帰ってくんな!!!」とブチ切れられ、さらに泣きながら近所のいじめっ子のところに1人で回る。
小学生中学年…テストで100点取らないと自宅の廊下に立たされる。で、それを友人に言ったらバレてさらに怒られる。
中学生…①部活から帰宅後、一人で遅い夕食をとっていたら急に髪の毛つかまれて庭に引きずり降ろされ、やみくもに髪の毛を切られる(男の子並みに)。←当時、ストレスが溜まっていたらしい。後日談。
②テスト勉強で深夜居眠りしていたら、瞼にサロメチール塗られる→翌朝、目がパンパンに腫れる。母親、同居の祖母に叱られる。
③定期テストの学年順位が1→14位に下がったら、往復ビンタ&死ぬほど罵倒。
高校生…①当時付き合っていた彼氏が気に入らないと、いきなり家から放り出されるor自宅の電話線をぶち切る(当時はそれしか連絡手段がありませんでした)or 朝、いきなりビンタで起こして、「あんな男とは別れなさい!!!」と怒鳴りつける。
②ストレスで拒食症になった娘に対して「拒食症の人に言ってはいけない10か条」を全て怒鳴りつけてくる。
③指定校推薦で大学が決まるやいないや、勝手にバイト許可を取り、バイト先も決めて押し付けてくる。そもそも推薦を取ること自体が押し付け(笑)。
大学生…東京の門限付き(当時10時半~11時)の学生会館に放り込む&門限ジャストに毎晩部屋に電話してくる(ちゃんと居るかの確認)。長期休暇は即帰省命令→勝手にバイトを決めて帰省翌日からひたすら働かせる。
とまあ、ざっくり言うとこんな感じです。
まあ、世の中もっとしんどい目に遭っている人もたくさんいますので、これがひどいかどうかは分からないのですが。
とりあえずこんな状況で育っておりますと、ひたすら母親の顔色を窺ってしまう娘になるのです。
なので、大学で実家を出てからようやく反抗期を迎えたものの、母親に対する恐怖心というものはやはり根強く…。
アメリカ一人旅なんて、当然事前報告出来るわけもなく(そもそも母親は、私が公務員試験の勉強しているものと思ってますから)。
で、黙って行ったのですが。
きっと連絡取れなくてパニック起こして上京してきたのでしょう。
…うわ~、絶対また来るヤツだわ。ホントに怖いわ、あの人。
とにかく母親との関係を、なんとかしないと…。
と思った私は何をしたか、と言いますと。
アンマの追っかけ第二弾、遂に本場インドに1人旅!
を企画してしまうのでした(;^ω^)
毒親との対峙、は、物理的距離が必要なのです。
何故なら、自分自身が「恐怖」にとらわれきっているから。
本当の自分を知る為には、その恐怖を取り払うこと。
まずは、親からのエネルギー(念)が飛んでこないところまで、避難するのです。
私の場合、静岡から東京に行ったのですが、強烈な親の場合は国境を超えないとヘーキでエネルギー飛んできます(^-^;
現に、うちの母親も、インドに郵便物送ってきたりしてましたから(笑)。
世界の果てまで追っかけてくるのが「毒親」です。
しかし!
当時私がお世話になっていたアンマは、「神々の母、究極の母性」を顕現する聖者様でしたので、そんな母親も最終的にはアンマに間接的に教育されていったのでした。
とりあえず、アメリカから帰国後2週間もせず、私は1人インドへと旅立つのでした。
つづく。