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番外編~USHAの成り立ち(個人的な備忘録)その17 ~初代サイババのアシュラムへ

2021-06-28 20:53:26

こんにちは、USHAです。

ブログ書いてたら、魂が疼きだしたのか、遂にネイティブ・アメリカンのインディアンフルートに転向(๑>◡<๑)

龍笛クン、今までありがと〜🙏

一からのスタートだけど、練習めっちゃ楽しみです^_^

さて。

サイババ、というと、日本ではあのアフロヘア―の

を思い出しますよね(私ももちろんそうですが)。

ただ、インドでは「サイババ」と言ったら初代のシルディ・サイババが普通に思い出されるのだとか。

日本のサイババは「サティア・サイババ」と呼ぶのだそうです。

ちなみに、「サイババ」とは「聖なる父」を意味する…ということは、実は最近知りました(^^;

ホンッとに我ながらド天然で学んできたなあ…としみじみ。

ちなみに、サティア・サイババ、私がお会いしたころは日本では「結構怪しいインド人」という風に受け止めていらっしゃる方も多かったです。

お付きの世話係の少年に手を出した、とかいう噂も有名で(笑)。

ただ、それはサイババの策略だったらしいです。

本当に信じているならば、そんな噂がたっても自分から離れることは無いだろう、と。

ディボーティ(信者)への試験だったそうで^_^;

あと、サイババといえば、「手からモノを出す」ので有名でしたね。

あれを胡散臭いと批判される方も多かったですが…。

私がドS師匠から聞いた話では、あれはサイババがエネルギーの時間を止めた結果、エネルギーが物質化しただけだ、と。

地球においては、1日=24時間という「時間」の法則が働いており、それ故、エネルギーが物質化するのだそうです。

したがって、サイババは自分の掌の中のエネルギーを、「地球時間」で物質化したのでしょう。

ドS師匠は、

「いつか、みんな『リンゴ食べたいなー』って思ったら、手にリンゴが出てくるような時代になっちゃうのよね~(笑)。」

と当たり前のように仰っておりました、ハイ。

 …なるんかな、そんな時代に。

…前置きがかなり長引きました(;^_^A

初代サイババのアシュラムへ向かいます。

当時、どこをどう移動していたんだろ?

と、今更ながら不思議に思ったので調べてみると。

こんな感じでした。

一番下がアンマのアシュラム。

で、真ん中がサイババのアシュラム(そこは全てバス移動)。

で、真ん中から左上が、シルディ・ババジのアシュラム。

確か、移動は飛行機+タクシー(運転手ごとチャーター)でした。

タクシー、といいましたが、夜通し走っていたように覚えています。

結構長ーく乗っていたような…。

インド国内の移動、バスで20時間オーバーとか、馬に乗るとか、そんなのが場所によってはフツーにあるのがなかなか恐ろしいのですが(^-^;

シルディ村、到着したのは、確か午前だったように思います。

とりあえずさっそくアシュラムをお詣り…。

実は、記憶はほぼここで途絶えております。

というのも、アシュラムから宿に行き、食事をとるか取らないか、でいきなり嘔吐。

からの、高熱&下痢。

吐いて下して朦朧とする中で、唯一覚えているのは、連れの二人組おばさまに、水に溶いたビブーティを文字通り全身塗りたくられたこと(笑)。

ビブーティというのは「聖灰」。

聖者様のところに行くと、買えたり頂いたりするのですが、実は牛のフンを乾燥させたもの、という噂も…( ;∀;)

それをがっつりベッタリ頭の先から足先まで塗りたくられた上、たっぷり飲まされるという…((((;゚Д゚)))))))

いや、元気だったらもちろん断固拒否してますよ(だって牛のフン)。

ただ、拒否できるような元気はカケラも残っておらず、本当になされるがままの状態でした。

で、シルディ村を離れる、となったその日。

スコンと熱が下がり、吐き下しもピタッと収まるという奇跡(笑)。

…そう、完全に「エネルギー当たり」でした。

何か「おお!!」という気付きが得られたわけでもなく、何かに感動して涙したわけでもなく。

ただただ、怒涛の如く高次元の波動をくらって好転反応で寝込んだだけの2泊3日。

そして、それがシルディ・サイババからのギフトでした。

今思い返しても、あれほどキツイ好転反応は経験無いので、相当何か浄化して下さったのだとは思いますが…。

手荒いにもほどがあるわー( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)…

ちなみに、帰りには、タクシー降りた途端にドライバ―+その仲間数人に囲まれてぼったくり請求される、というハプニングがありました。

多分、連れのおばさま達が全力で振り払ってくれたのだと思いますが、あれは怖かった…(T-T)

そして、そのドライバーたちとのトラブル処理後、おばさま方は日本へ帰国、私はアンマのアシュラムへと戻ることに。

久しぶりに、また一人旅となったのでした。

続く。